人2016.04.08
しなやかに生きるためのスキルを取り戻す[前編] 大村淳さん
今、浜松で起きている面白いコト。そこには必ずキーパーソンがいます。
彼ら彼女たちがいるからこそ、面白いコトが起きている。
その発想を紐解くと「創造都市・浜松」の明日のカケラが見えてくるかもしれない。
~今日あなたが買ったものは、誰がつくったものですか〜
脆弱な社会システムのバックアップ
東日本大震災やその後に続く福島第一原子力発電所の事故は、エネルギー問題や食の安全性、コミュニケーションの在り方、働き方や幸せの尺度など、多くの人にとってこれまでの価値観を考えさせるきっかけになりました。そして当たり前にある暮らしがとても脆弱であることにも気が付きました。
ここ数年、トランジションタウン(Transition town)という言葉が注目を集めています。2005年、イギリス南部にあるトットネスという小さな町で始まったこの市民運動は、地域の「自然」や「いきもの」、「人のいとなみ」に寄り添い、創造的で、持続可能な地域社会へのトランジション(移行)を目指すもの。そのネットワークは世界で1,800の地域に広がり、日本でも50を超える地域で活動が行われています。
今回は「トランジションタウン浜松」立ち上げメンバーのひとり、大村淳(おおむらじゅん)さんに話を伺いました。
「イギリスで始まったトランジションタウンの運動は、地下資源の枯渇問題に端を発しています。エネルギーの供給が止まったらクラッシュしてしまう脆弱な既存の社会から、地域レベルで自給自活できる、強いショックから耐えられる町、コミュニティへの移行を目指す活動です。脆弱な社会システムから、エネルギーや食料の自給率を高め、お金や仕事を地域で循環させることは、環境破壊をはじめ、経済や社会の課題を解決する可能性にあふれています」
「トランジションタウンの活動のユニークなところは、どこかに本部がある訳ではなく、自由意思に任せられているところです。トップダウンでないので『任せられる』と言う表現も正確には違うんですけどね(笑)自給自活していくためのモデルや考え方はありますが、あとはその地域で一番いいと思われるアプローチを取っていきます。オープンソースを合い言葉に、成功したことも、失敗したことも、世界規模のネットワークで共有し、誰でも見ることができます」
2010年に活動を初めたトランジションタウン浜松は、良質なドキュメンタリー映画を上映する映画部、地域通貨を考える活動、味噌やしょう油など発酵食品をつくる会、食べられる庭を実践するフォレストガーデンなど、持続可能な社会をつくるための多彩な活動が行われています。大工や農家、助産師にお坊さん、公務員など、さまざまな職業の人が参加し、メーリングリストを通じて現在は400名ほどが繋がっているといいます。
—お話を聞くまで、ヒッピーのような閉じたコミュニティを想像していました(笑)
「よく言われます(笑)普通に食のことや地域コミュニティなどに関心のある人が集まっている感じです。がちっとした組織ではなくて、それぞれの意思や興味によって集まった人たちがゆるやかに繋がり、各ワーキンググループが持続可能な暮らし方の可能性を探っています」
「最初の1年はこれといった活動はせず、メンバーと一緒にご飯を食べながらビジョンを語り合っていました。周りからは食べてばっかじゃんと言われていました(笑)その中から生まれたアイデアを元に活動を続け、リエコノミーをコンセプトに、地元でつくり、地元の人に届けるビジネスモデルを考えるシンポジウムを開いたり、地元の工務店さんと一緒に自給自活できる食べられる庭をつくったり、やっと最近になって、目に見える形になってきたように思います」
「面白い話があって、3年ほど前、トランジションタウン浜松を組織化しようとしたら、不思議とメンバー間がぎくしゃくし始め、ものごとがうまく進まなくなったんですよ。それまで自分の意思で行動していたのが、組織や立場が固まるにつれ、こうあるべき、こうすべきというプレッシャーが行動を制限してしまったのかもしれませんね。自分よりも組織が先に立ってしまって、自由意思を殺してしまったのかも。組織論としてとても興味深く、なぜそのようなことが起きたのか、みんなで話をしています」
依存ではなく、自立した個々による共存
「食や電力の自給、地域通貨といった活動は、既存の社会システムのバックアップであって、活動の目的は外部からのショックに対応できる持続可能な社会をつくることにあります。そのためにもメンバーが自立するスキルを養えればと思っています。参加するみなさん、ひとりひとり得意なことが違って、普段の仕事のスキルを生かしたり、食べ物を育てるのが得意だったり、料理をする人や場所を提供する人など、さまざま。特別な技能でなくても、人を紹介したり、小さな子どもをあやしたり、ささやかでも自分のできることが誰かの助けになっているんだと、活動を通じて気づく人も多いようです。人間すべてのことをひとりではできませんからね」
ものやサービスなど、何でもお金で手に入る時代だからこそ、自分は何が提供できるか考えることは大事なのではないでしょうか。何かしら他者に貢献できるという感覚は、自分の存在価値を認めるだけでなく、互いに支え合うという人間本来の関係性を思い出させるのかもしれません。
–トランジションタウンの活動を始めようと思ったきっかけを教えてください。 「ヨガのインストラクターをしていることもあり、人の健康に関心がありました。身体的なケアだけでなく、身体に影響を与える精神的な負担をどうしたら減らすことができるのか考えていて、思ったのは日々の仕事を含めた暮らし方が大事なんじゃないかと。そんなときに出会ったのがパーマカルチャー(※1)だったんです」 「パーマカルチャーというと、山奥に引きこもって実践するイメージがありました。でもトランジションタウンは、地域や人と繋がりながらパーマカルチャーの理論を都市部でも実践することができる。僕の実家は伊左地で、今は富塚や蜆塚を中心に活動をしています。浜松のためと言うとおこがましいですが、山奥ではなく、都市と田舎の境界で持続可能な地域社会をつくっていこうと決意しました」。にこやかに笑いながら話をする大村さんが抱く、強い意志を垣間見たようでした。
「ここでは暮らしのスキルを学ぶだけでなく、コミュニケーションの在り方も探っています。しがらみのあるコミュニティではなく、繋がりのあるコミュニティ。ずっと同じ土地にいると地縁や昔からの風習などがあり、何かを変えたり、新しいことを始めることが難しい場合が多々あります。『男はつらいよ』の寅さんではないけれど、住民と顔なじみでありながら、地域に縛られず軽やかで、緊張を和らげるような役割を担える異分子の存在は、新しいコミュニケーションをつくる上でとても重要です」 「トランジションタウンのゴールは、自転車で回れるエリアの中で必要なものが全て手に入る状態が理想とされています。だいたい小学校の学区ぐらいでしょうか。顔の見える規模での経済活動や社会システムは、昔の町や村の在り方と通じる部分もあり、次の時代のまちづくりのヒントが隠れているような気がします」
※1 パーマカルチャー(Permaculture) Permanent Agriculture(永続する農法)、Permanent Culture(永続する文化)からなる造語で、オーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンが構築した、自給自足の環境をつくるデザインや考え方。このパーマカルチャーの原理原則を地域社会に落とし込んだときどのようなことが起こるのか、そんな社会的実験をしたのが、パーマカルチャーの講師であり、自然建築にも明るいロブ・ホプキンスでした。彼の活動はその後トランジションタウンとして世界中に広がっていきます。 大村淳 「トランジションタウン浜松」立ち上げメンバーのひとり。ヨガのインストラクターやフォレストガーデナー(庭師)などをしながら、さまざまなワークショップを通じ、トランジションタウンの活動を実践している。